麦酒工場潜入編 [廃墟&近代化遺産]
北九州の関門海峡が見渡せる海岸にある
赤煉瓦プレイスと呼ばれて
人気スポットの元サッポロビール工場跡です。
前回・・・と言ってもかなり前ですが
外回りのレポを紹介しました。(2年5ヶ月前です)
外から一周して煉瓦の芸術を堪能しましたが
今回は一般公開での潜入レポでございます。(これも結構前の話だったりするかも・・・)
明治45年に帝国麦酒㈱が設立されて
この煉瓦の工場は大正2年4月に竣工しています。
イラストの後ろの方の工場はもう残っていませんが
手前の醸造棟と管理棟だけは今でも残っていて
普通に外側は見ることが出来ます。
帝国麦酒(個人的にはこの名前、ダークなイメージでとっても好きです)で
「サクラビール」を作った後は
何度か名前を変えて今のサッポロビールになりましたが
平成12年に大分県の日田に工場が移ったことで
廃墟になってしまった。
元々古かった工場に人がいなくなると
廃墟化は凄いスピードで進み、本当の意味で廃墟です。
って、ことで今回は門司港の港祭りと足並みを合わせて
この麦酒工場の一般公開が開催されています。
長い説明を受けて中へ
材料の仕込み室だったっけ?
どうも、あのホッパーのような容器の上から
材料を投入するようだ。
と、その横に大きな舶来のろ過装置が横たわっています。
鉄の塊のような機械で
何故か非常に萌えます。
幾つも並んでるのはろ過するフィルターの
枠らしくて
装置の下にはその粕を破砕するドリルがあります。
って、動きはまったく妄想するしかないけど
こういった古い装置が残ってるのは貴重だよね。
このプレートにも激しく萌えます。
続きまして
お酒を造る要となる醗酵室
中には巨大な醗酵用のタンクが
4基ならんでいます。
何リッターくらい入るんだろう?
醗酵室の入り口には
醗酵による炭酸ガス充満で酸欠事故防止のためか、
警告ランプみたいなものがあります。
配線は切れてるけど
酸素濃度センサーか何かにつながっていた物と
推測できます。
そしてほっそい階段を登って
最上階の7階へやってきました。
外から見える尖がった一番上ですが
中から見ると骨組みは美しいけど
期待するほどの物じゃないね。
でも、見晴らしはとっても良いよ。
関門海峡が目の前で
創業時はまだ海が手前だったので
船から直接コンベアで材料を
取り入れていたらしいです。
この7階は今は何も置いていませんでしたが
蒸留装置があったそうですが
これで一通りの内部公開は終了です。
外から見たら赤煉瓦で綺麗な工場跡だけど
中は流石に使い込まれた
薄汚れた内壁で廃墟ハンターは終始目が輝いていました。
ふっるい機械にもかなり萌えたね。
夜に入ると絶対オバケがでますが
毎日慣れ親しんでる麦酒工場の歴史はいかがでしたでしょうか?
一般公開時にしか入れませんが
外から見るだけでもなかり癒される赤煉瓦はココ
大牟田市役所潜入レポ [廃墟&近代化遺産]
福岡県
大牟田市庁舎
そのまんまお役所でございます。
別にわたくし廃墟ハンターは住民票を取りに来たわけでも
転居届けを出しにきたわけでもございません。
これを撮りに来ました (建物の上を見ろ)
(何だコレ?)
下から見上げただけでは
何だかわかんないよね。
んじゃ、廃墟ハンターが代表して市庁舎の中に
突入だ!
と、この市庁舎は旧庁舎が火災で焼失した後、
1936年(昭和11年)に建てられた
近世式鉄筋コンクリート4階建のモダン建築で
官公庁ではたくさん採用された造りですが
今となっては貴重な部類に入る建築物なのだ。
まずは正面から堂々と入る (その入り方が一番怪しまれないでよろしい)
入るといきなり大理石を張った階段が!
市庁舎に用事がある人はほとんどは
この一階で用事を済ませる為、
これ以上の階は勝手に上がるにはちょっと勇気がいります。
で、勇気を出して行っても屋上は無理だろうってことで
キチンと受付で管財課に行くように
指示されて只今、管財課を捜索中!
古いビル独特の
インクの香がします。(大好きです)
一般市民はほとんど来ることは無いであろう
管財課を覗くと一人の職員の方が「何でしょうか?」と
感じよく対応してくれました。
「あの~・・・屋上のブツを見学したいのですが・・・」
と言うと親切に案内してくれるそうです。
屋上に行くまで
各部屋に残る装飾を紹介してくれます
総合政策課行財政改革推進室や
教育委員会事務局の執務室に残るゴージャスな意匠
↑ この部屋は昭和天皇が来た時の
控室になったそうだ。
狭い廊下を進み
屋上までの階段です
ほぼ物置として使っとるな
職員の方から屋上の扉の鍵を開けてもらって
屋上へ出ると目の前に目的の物が建ってる!
太平洋戦争時に使っていた
防空監視哨だよ。
いかにも戦火に耐えた貴重な官庁建築物って言える
物件がしっかりと残っています。
中に入ると大人がちょっとかがんで
入る大きさですが
当時の人はちょうど良かったのかもしれない。
周囲を見るための窓と機銃を出す穴が
見えるね。
窓の方角は有明海を向いてる
窓が大きくて覗きやすいけど
攻撃されたら怖そうです。
この監視哨は交代で見張っていたらしくて
見張りの兵士の控室も残っています。
分厚い壁に守られた奥に小部屋があって
現在は小さな会議室になってる。 (使ってなさそうだケロ)
そしてこの防空監視哨の横にも
遺構が一つ残ってるそうだ。
良く見ないとわからないけど
高射砲の台座が残ってるらしい
フェンスのよじ登って撮ったけど
わかる?
あのチョコンと出てる
銭湯の椅子みたいな奴だよ。
わかりやすいように
響秘密結社CG製作部にお願いして
高射砲を設置してみた。
多分、こんな風だったと思われます。
なかなか想像力を駆り立てられる
楽しい内部潜入でした。
後、爆弾で屋根がすっかり無くなった場所や
井戸などの説明を受けて
内部調査終了!
戦時中の攻撃に耐え、
今に姿を残す貴重な建物。
お役所なので入りにくいイメージだけど
納税者はきちんと受付すれば見ることができます。
住民票や戸席謄本は親切丁寧大牟田市庁舎へ
金ノ弦岬灯台 [廃墟&近代化遺産]
角島灯台や可愛い部埼灯台を建てた
イギリス人技師、リチャード・ヘンリー・ブラントン氏が
建てた灯台が山口県の彦島の最南端にあります。
明治4年(1871年)に浅瀬を知らせる立標として
建てれた金ノ弦(かねのつる)灯台です。
下関市の南側にくっついてるように浮かぶ彦島の
最南端の先っぽにあるのだが
探すのは結構大変です。
普通灯台は崖に上とかにあるので
目立つし登る階段とか簡単に見つかるものだけど
この灯台は海面ギリギリに建ってて道からは見えないし
霊園の中をうろうろしてやっと見つけることが出来る
夜には般若心経無しでは近寄れない灯台でございます。
霊園の一角から降りる階段があって
登るんじゃなくて下ると
灯台の真下まで行けます。
高さ8.1mと、とっても可愛い灯台で
元々違う場所にあったけど大正9年に
この場所に移設したらしい。
小さいながらも
大小の船がひっきりなしに通る
関門海峡の安全をしっかり見守っています。
灯台が建つ場所は
かなり狭い足場しか無い場所にあるので
海が荒れた日などは
絶対近寄ってはダメですよ。
波があるとこんな階段など
楽勝で波が襲うので危ないです。
落ちるとピューーーって流されて
ハングル文字の国へ行っちゃうよ。
灯台の頭 ↓
チッコイ!
立標なのでデッカイレンズなどは無いけど
灯台のミニチュアみたいでとっても可愛いよね。
石造りの灯台としては
日本で最古の灯台で、小さいけど
立派な歴史を持ってるのだ。
江戸時代からたったの4年しか経っていない当時の
灯台はやはり貴重です。
シェンロンもできないほど狭い足場なので
注意が必要だけど、晴れた穏やかな日に行くならココ